






まだ10代の頃のヴィルジリオは、将来を夢見てバールで手伝いや日雇いなどの仕事をこなす日々を過ごしていた。その後はゲームのディストリビューターの仕事に就き、そして若くしてリータさんとの結婚。ヴィルジリオ20歳、リータ18歳の時だった。その後、働き者のヴィルジリオは良き伴侶を得るだけでなく、仕事での成功をおさめるという幸運に恵まれる。
元来全く欲のない男だったが、彼には1つだけ夢があった。それは「畑仕事」をすること。あの、大地の香りが好きでたまらなかった。広い空の下に広がる大地で行う畑仕事。それがヴィルジリオの昔からの夢。将来年金生活に入ったら大好きな土いじりをしながら暮らしていきたいと考えていた。
そんなある日、仕事で立ち寄ったスヴェレートで彼の夢を叶えてくれる土地に出会う。1984年のことだった。ヴィルジリオの故郷から程近いその場所には、少しのブドウとオリーヴや麦などしか植えていなかった。順調に仕事をこなす毎日がある反面、彼の胸の中で膨らんできた昔からの夢が、その土地の購入を決意させる。
ワインの産地として全く無名であったこの場所が、後に世界レベルのワインを生み出す土地であったことなど、世間の人は勿論、ヴィルジリオも予期していなかった。

当初、まだゲームの仕事を続けていたヴィルジリオは、平日は都会で仕事をこなし、週末を長年の夢であった念願の畑で過ごしていた。当時この地域で栽培されていたブドウはトスカーナの地品種であるサンジョヴェーゼやトレッビアーノで、それ程大きい畑ではないが、老後のセカンドライフとして徐々に仕事を農業にシフトしていきたいと考えていたヴィルジリオは、それがたまらなく好きだった。
そんなある日ヴィルジリオが作ったブドウが、そして出来上がったワインが、常識を超えるレベルであることに気付く。ブドウ栽培へ次第にのめり込んでいったヴィルジリオは、
「-どうせやるのであれば、世界レベルのワインを造りたい-。」
といつしか思うようになる。
そして1988年、この無名なワイン産地の1.5haに、あるブドウ品種が植えられる。それが後にトゥア・リータのシンデレラ・ストーリーの基盤となる、カベルネ・ソーヴィニヨンとメルローだった。大好きな土の香りに誘われ、ヴィルジリオが畑へ出て行く週末が続く。愛情たっぷりに育てられたカベルネ・ソーヴィニヨンやメルローは、やがて実を結びはじめる。

1989年、後に天才醸造家として有名になるルカ・ダットーマと契約を交わす。当時のルカ・ダットーマはトゥア・リータの近くのワイナリーで働き、醸造家として野心に溢れていた。新しいプロジェクトを考えていたヴィルジリオは、そんな野心溢れるルカ・ダットーマと一緒に仕事をすることを決心する。
そして終に、「ジュスト・ディ・ノートリ1992年」がワイナリー初リリースとなる。カベルネ・ソーヴィニヨンとメルローが50%ずつという比率のジュスト・ディ・ノートリは、トゥア・リータのワイン造りへの情熱が込められたワイン。
そのジュスト・ディ・ノートリの出来があまりにも素晴らしく、その当時スヴェレートでは全くワイン文化が無かったにも関わらず、一気にトゥア・リータの名前、そしてスヴェレートは有名になった。

その頃トゥア・リータではある事に気付き始めていた。それはメルローの品質のレベルがあまりにも素晴らしいことだった。醗酵段階で既に「レベルが違う」とまで思えたメルローは、1994年実験的にバリック2樽分だけ瓶詰めされる。これがシンデレラ伝説を造る、「レディガフィ」の誕生である。
このメルローの凄まじさに、たちまち噂が広がった。そしてかの有名な三ツ星レストラン「エノテカ・ピンキオーリ」のオーナーであるジョルジョ・ピンキオーリの耳にまで入り、当時独占販売の話まで持ちかけられたが、ヴィルジリオはそれを断った。
このワインの出来と世界的な評価が、老後に農夫としてのセカンドライフを目指していたヴィルジリオに大きな使命を与え、ついに農業を生活の基盤とすることを決断。ワイン造りを本業とし、ここスヴェレートに移住をする決意をした。頑張り屋のヴィルジリオが、自分の唯一といってもよい欲望に全身全霊をかけられる。ここから真のViticoltore(ブドウ栽培農夫)への人生が始まるのである。

それからというもの、ワイナリーの本格的革新が始まる。イタリアで密植度が8,000本/haを超えるところが殆ど無かった当時、9,000本/haの密植度に挑戦し、また当時、ワイナリーの年商の3倍という、破格の値段の専用トラクターを導入するなど、自分達の「ワインのクオリティは畑でしか作れない」という理念を突き詰めていった。
1998年、多忙を極め始め、トゥア・リータとの関係を維持できなくなったルカ・ダットーマと契約を解消したヴィルジリオは、ステフアノ・キオッチョリをコンサルタントに迎える。
しかしエノロゴが変われども、ヴィルジリオの毎日は変わらない。畑仕事一徹。畑仕事が趣味で、毎日が飽きない。朝8時から畑に出かけ、夜日が暮れるまでヴィルジリオは畑にいる。帰宅後はシャワーを浴びて、テレビを見て、そしてベッドに向かう。そして次の日、畑仕事の一日を楽しむのである。


トゥア・リータのあるスヴェレートは不思議な気候を持っています。
その特徴は、「安定した気候」 と 「風の流れ」。
例えば同じトスカーナ州のキアンティ・クラッシコ地区で雨が降っていたとしても、スヴェレートでは
晴れているようなことがあり、降雨の影響を受けにくい地区です。
それは、スヴェレートから直線距離で北に約15kmのところにあるボルゲリとでも天候が異なっています。
また昼は海から山へ、夜は山から海へと、常時風の流れがあります。
これらの微小気候は、スヴェレートすぐ近くの南西の沖合いにあるエルバ島が大きく影響していると考え
られています。
海からの風はエルバ島の周囲を回避し、スヴェレートの場所で集まるような流れになっているのです。


トゥア・リータの所有する畑の中には、世界的に見ても類の無い特殊な条件を備えた土壌 が存在します。
これはスヴェレートという地区の中でも、トゥア・リータの所有する畑だけに見られる条件 であり、隣接するワイナリーにもありません。また トゥア・リータの畑の中でもこの特殊な土壌はその一部に限られています。この特殊な区画のすぐ隣の区画といえども、全く土質が異なるため、そこからは偉大なワインはできません。

<この土壌が形成された背景>
この一画にしか存在しない地層は、2億2千万年~2千万年前までの層が混在しています。
トゥア・リータの畑を奥に進んで行ったところには大理石の発掘場になっている小高い丘があります。
大昔にこの大理石の地盤が隆起した際に、この僅かな場所に限り、特殊なテロワールを生んだのです。

<複雑な土質>
土質は非常に複雑で、赤色の土に黒い粒が多く存在する土壌です。
赤いのは鉄分が多い証拠であり、黒い粒はマグネシウムの塊です。ここの土には植物代謝に必要な微小必須元素が異常に多いのです。

<ブドウへはどういう影響が?>
この土質が植物であるブドウ樹に大きな影響を与え、最終的にできた赤ワインでも、酸度が6.5~7という高い数値になっています。
例えば熱波で多数の死者を出した2003年という暑い年でも、一般的に酸度の高いといわれる2002年よりワインの酸度が高くなった程です。


トゥア・リータの畑での作業は徹底しています。
まず草は全く生えていません。これは毎日トラクターで表面を耕しているからです。
トラクターで畑の表面を1度耕すことは、雨が1回降ることと同じといわれています。
土というのはそのままにしておくと土壌内で毛細管現象と呼ばれるものが起き、これにより土中に蓄えられた水分が蒸発してしまうのです。
表面を耕すことで土壌における毛細管現象を断ち、水分蒸発を防ぐことができるのです。
また、ブドウ樹の手入れは、1本1本の樹を見極めて行います。
グリーンハーヴェストをするタイミングは実の状態を見るだけでなく、季節も判断して行います。
葉の状態、そして今後の成長度合いを考えながら行わないと、今後のブドウの成熟に大きな影響が出てくるからです。
これらも全て、トゥア・リータの人々の愛情、情熱によって支えられています。






<ステファノ・キオッチョリ氏のコメント> 『まずこのワインの偉大さを支えるのには、「土地」「気候と栽培」「醸造」の条件が揃っています。 土壌には炭酸カルシウム、ホウ素、マグネシウム、マンガン、鉄分などが異常に多く、世界にも類のない土壌であり、そこから造られるレディガフィは「世界最高のメルロー」といえるでしょう。 気候は最高の条件です。密植度、キャノピーマネージメント(樹の管理)、収穫のタイミング、台木など、最高の状態をキープしています。 そして醸造はシンプルで伝統的、しかし実に細かい作業がしっかりされています。 しかしながら、何より人が大事です。 トゥア・リータの人々は情熱と細心の注意を払ってブドウを育んでいます。 彼らは毎日朝から晩まで畑で働いています。 私は醸造家として、そして農博士として、醸造・栽培についてアドヴァイスはできますが、情熱だけは どうしようもありません。 私はそんなトゥア・リータの人々にほれ込んでいるのです。』 |

